札幌 大谷地 たむら小児科ホームページ

自己紹介 Self introduction

「子供といっしょに考えようー子育てについてー」

 子供たちを取り巻く社会的状況は、極めて危機的でさえある。乳幼児期のときから思春期過ぎまで、子供たちが乗り越えていかなければならない障害物が余りにも多すぎるからです。何も、塾や受験競争や学校のいじめの問題に限った事ではなくて、大人があまりにも自分たちの事ばかり考えているから起こる事で、子供たちが、「何を」、「どんな風に考えて」、「どうして欲しい」、と思っているかを微塵も考えていないからなのです。今は完全に古くなって腐りかけた大人の独占社会で、全てが貪欲で自己欲の大人の論理で決定されているのです。

 子供が大人の奴隷にされてしまいそうな例はいくつもあります。乳児スイミングとかいって、一歳に満たない幼児を無理やり水につけて、"泳ぐ泳ぐ"とマスコミも含めて大喜びしていたのはつい最近の事です。赤ちゃんは抗議も抵抗も出来ないから、必死に手も足も動かすでしょう。本当に楽しんでると思いますか? こんなのは幼児虐待以外のなにものでもなく、スイミングスクールの営利主義の犠牲になっているだけです。親としては、そんな訳の分からない宣伝に乗せられないでしっかりと我が子を守ってやることが大切でしょう。親以外の誰も、本当に守ってやることは出来ないのです。

 同様の事が今も起こっています。今度はパソコンの幼児教室だそうです。パソコン屋に乗せられた、自分の子を守ることのできない親が、強制的に連れてきてパソコンゲームみたいのを操作させるって訳です。子供は自分の目の高さより高い画面を首を曲げて見ながらマウスをいじっていました。なんと痛々しい、なんという虐待か。子供の頸や肩や視力は壊れてしまうよ。たとえ最良の姿勢で行ったとしても、それ自体にどんな意味がどれだけあるのか。全く商業主義の犠牲ではないか。何の為にちっぽけな目先の技術を早く早くと欲しがるのか、水泳もパソコンもしっかりした基礎体力や算数や国語や社会や理科や美術や音楽なんかの基礎的な学力があって、そこから発展して獲得していくものではないのか。

 子供は大人の玩具ではない。子供は、どんな幼い子供でもあの透き通った深い光の眼で何でも見通して、しっかりと考えているものなのです。商業主義に堕落した大人たちと、先走る事が子供の幸せだと思い込まされてしまった親たち、全力を子供のために尽くしてきたと思い込んでいる親たちは、そんな子供たちの眼を怯む事なしに本当に見る事ができるのだろうか。大きくなって強制が効かなくなった時に、一気に子供たちの反乱が始まる事だってある。時に大暴動のごとき反乱も、偶然とか、何の理由もなくなどでは全くありえない。抑圧され、虐待された子供たちは密に耐え忍んで時を待っていたに違いない。

 思春期の子供たちを取り巻く環境も大人のためだけのものだ。援助交際とかいって事実を隠蔽して唆し正当化している、薄汚い中年の大人がいる限り、少年や少女らの幸福はない。腐りかけた大人のために都合の良い社会、強い者、権力のある者、大声でわめく事のできる者、宣伝の上手な者、言い逃れ巧みな者、変わり身の得意な者、嘘つきと強欲ばかりの大人の社会には、子供たちが真っ当に生きていける場所は少ない。新聞には毎日のように、大人の狼藉と淫行が溢れているではないか。マスコミ関係者などのそれは言うに及ばず、大学教授も教師も医師も弁護士も例外でなく、一体この国はどうなっているんだ。どうなっていくんだ。子供たちだって考えてしまうし、考えた挙げ句に迷路にだって嵌まり込む。大人がもっと真摯に生きなければいけないと思う。かつての子供の時代の事を忘れちまった大人は、大人の世界だけで遊ぶべきで、子供の世界に侵入すべきではない。

 腐臭に溢れた、あまりにも狂気な大人の存在は一部分だと思う。マスコミがそんな取るに足らない存在の事を増幅して吹聴しているのではないかとも思う。本当にそうなら子供たちの未来にもまだまだ救いがある。あるはずである。子供たちは大人の金儲けのための道具ではないし、ましてや、享楽を満たすための存在なんかでは決してない。そんな事にはさせないと、いま子育ての真っ最中のお母さんたち、お父さんたちが希望を持って、赤ちゃんたちを育てていければ、そしてその力が子供も若い大人達も思いっきり活気に満ちて生きる方向をつかみとっていけるような社会を作っていくのだと思う。

このページが、そんな社会へのためのささやかな手助けになればと思う。札幌市 田村 正

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